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寺の娘の名前(3)

友人宅の有形文化財のニュースもそうだがが、このところ嬉しいことが多い。
十三回忌が一つの節目であったのか、気持ちが空くような思いである。
こういうとき、私たち夫婦では
「順序がつく」という表現をしてきた。

物の道理がかなって、事態、感情の整理がついた状態のこと。仏法にかなっている。という意味合いで使ってきたのだけど、いま調べてみたところ、ことバンクには、載ってないことを知った。

これは、どこからか聞いてきた夫が最初に用い、その語呂合いが私も気に入り、夫婦で使ってきた、造語なのだと知る。
では、他のことばで表そうとしても、このことば以上にしっくりこない。

この「順序」というのは
神仏法、つまり、人智を超えたところでの絶対、みことのり。というようなニュアンスなのである。

例えば、養老孟司が「馬鹿の壁」で語った、日差しを浴びるための木の葉の配列の絶対。完全の美。
それは、化学や数学といったものを計算されつくされた結果生ずる、機能美であるはずなのに、それを計算出来るコンピュータがすでにあの透けるようなひとひらの葉に内蔵されていることの畏怖。

そう言えば、わたしは今年の春に50歳になった。

五十而知天命

25歳で結婚し、子をなし、
その子が25歳となる今年、銀婚式を迎えた。
25年の節目という気持ちが大変強い。
五十歳。天命を知ったというには、おこがましいが、この、順序がついたという心境がもしそれならば、まさしく、五十にして知命。

25年が一つの区切りならば、いま新しく始まったばかり。しかも次の節目がやはり25年後ならば、あせることは何もない。

順序がつくのはこの先、25年後と思えば、
いまは、生まれたの赤子が
小さな握りこぶしを 日の光に透かすようなものだ。


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