スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

父の十三回忌(3)

御斎も全員で壮大に盛り上がった。
和気藹々、あんなに人の笑顔のこぼれてとまらない集まりを
これまでみたことがない。
子どもも大人も大きな声で歓声をあげて笑ってたが
夫のはからいで ひとりひとり
子どもたちにおじいちゃんの思い出話をさせると
私たち娘は むせび泣くしかなかった。
子らが語る 思い出の父が あまりにも鮮明によみがえってきて
その 懐かしさに リアルな残像が
胸にせまった。

次は わたしたち姉妹に 「父の思い出を」とふられたとき
涙ではなせなくなった私をみて
たけおが すっくと立ち上がった。

母に代わってと話し始め、最後は
「私たちみんなを愛してくれたおじいちゃんなので
これからも いとこ同士仲良くしていきます」
と まとめたときには 父がすぐそばで
満面の笑顔で 微笑んだような気がした。

父は・・娘がいうのもなんだが、
どこにでもいる 小物だった。
小物というと失礼千万 親不孝な娘であるが
やはり そのへんのどこにでもいる 小物だった。

けれど その小物だったと思っていた父が
これだけの 身内をひきつけるほどに愛されていたことを
亡くなったいま しかも 12年たったいま 思い知らされた。

そして、そのことが何より 嬉しくて、
ボランティアをしたり 誰かのために祈ってたりしていた自分が
よほど小さく感じ、
もうここに集まる家族の笑顔だけで すべて満たされたような気さえして
あとは 残りの人生 もう何もなさずして 終わったとしても
本懐を遂げたような 心持ちにすらなった。

子どもたちだけで (8歳から25歳の幅はあるが) カラオケにいった。
つぎおより 年長組がちょうど半分6人いるのだが
その6人で 幼い頃流行ったアニソンでめちゃめちゃ盛り上がり
年少組みは あっけにとられるほどだったらしい。

帰ってきたふうこが 何度も何度も
「楽しかった!子どものころを思い出した!無心に遊んだ子どもの頃を思い出した」
と興奮していた。
私たち親子は たけおが小学校高学年になるまで毎年、
欠かすことなく 夏休みはびっしり数週間 里帰りしていた。
毎日毎日 いとこと遊び、父は山や川やプールへと連れていってくれた。
横浜で生まれ、育ったけれども
父のいるこの場所が わたしの子らにとっても ふるさとなのだと思った。
kounoura.jpg


人気ブログランキングへ(←応援ぽちよろしくお願いします)
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新コメント
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カウンター
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。