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あべちゃんのねっこ

同じ読み聞かせ仲間の まゆみさん(←まゆみさんのブログ)から
コメントをいただいたので
嬉しくって 調子にのって
久しぶりに 記事を書きます。

で、コメ返しの つづきになるのですが、
あべちゃんの 気楽さの「ねっこ」の話。

これは 最近 あべちゃん本人と話していて感じたのですが
あべちゃんの 気楽さ 「生き易さ」とも
いえる 肩の力が抜けた感じは
おそらく 「愛された」人のもつ
それでは ないかと 思うのですね。

いや 「誰が愛されて 誰が愛されてなかった」
というよりは、

あべちゃんは 「愛されて」育ったことを
【実感しやすかった】

という話。

この実感というのは
実に曖昧で 抽象的で 数量で推し量れないものなのですが、
より 現実的に それを 可視化するとすれば
そういう メッセージが育った。ということ。

ははは・・ ことばもまた 見えませんね。


例えばね。
心に 「お前が生まれてきてくれて嬉しいよ」

ということばが 心に育っているか どうか。


というのも、たとえば
わたしの場合、親はとても愛情深い人で
現実に いまも とても 愛すべき人たちなのですが
どうしても その メッセージが弱い傾向にあるのです。

人からはこう見えるであろう客観的な自分と
自分自信の感じる 主観的な自分に
このところ 違和感が生じることが増えてきて・・

見た目の自分と
自分の感じる部分とに
違和感があるというのは
結構 生きるうえでは やっかいだったりして

それで ひとり
ことばを連ねたり
あるいは 黙秘したりして
そのへんを 探ったり
あるいは 無視して 寄付けなかったわけですが・・

いま この探求のプロローグが
終わったとしたら このテーマの行き先は。

まず そこに あったのは

言葉としての「愛」

現実に愛されたかどうかではなく

メッセージとしての「愛」が

そこに プリントされたか。

が とてつもなく 重要だというお話しなのです。


絵本に興味がない私が
それでも 彼女らとボランティアチームを組み
絵本に興味がないからこそ
私の足りなかったものを 見つめる作業をしている。

最近 私は
読み屋さんたちに敬意を表して
「愛の伝道師」と呼んでいるのですが、

絵本って 愛に 満たされているじゃないですか?

絵に ことばに。

 絵本があたえる愛は

 こどもにも そして つかれた おとなにも
 
 大切なんじゃないかと

 はらは 「頭で」 考えて、

 知らず 「心が」癒されてるんじゃないかと

 思う次第なのであります。


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