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寺の娘の名前(2)

実は私は、この寺の娘とは
幼い頃に、2、3回会った程度である。
彼女が「すごい」というのは
仲間内での情報が
わたしの中で 偶像化されてるだけだから、
じゃあ、何がすごいのかは、わからない。

でも、仲間みんながすごいといって
かの菩薩のなんぶうですら
たじたじになるんだから、
やはりそりゃあすごそうだ。

そもそも、孔子にしたって
キリストにしたって
そもそも仏陀にしたって、

本人自らが自分のことばで
何か書物なり、経典なりを
したためたわけではなかろう。

孔子には荘子や老子が
キリストにはパウロやヨハネが
仏陀においても
その死後に、弟子たちで経典をまとめたものである。

つまり、何が言いたいのかというと、
いまは、「なんかすごい」くらいの
イメージ戦略で十分。

「なんかわからないけど、すごそう」

亜希ちゃんには その スケールのでかさを
大切にして欲しい と 切に願う。

寺の娘の寺子屋。

学びの原点回帰を期待してやまない。

それでも、ぜひ、世界を見てきてほしい。
日本の小ささをみて
日本の偉大さを感じてほしい


そういえば、先週末の実家でこんなニュースが飛び込んだ

長崎市の料亭春海が国の有形文化財に答申されたというニュース。
http://www.pref.nagasaki.jp/press-contents/170138/

この春海の末娘と私は大学のゼミが同じで
しかも、たった2人のゼミ生。

ゼミの忘年会をこの料亭でお願いしたり
何かと遊びに行ったりと、
実にぜいたくな午後の茶会を楽しませていただいた。
つねづね、素晴らしいなあとはおもっていたけれど
文化財に指定されるとは。

と、こんなふうに
スケールがでかすぎると
そばにいても、
いや、そばにあったからこそ
気づかないという話。



3年ほど前、忘年会も佳境の師走の土曜日に
夫と二人、この、貴賓室を使わせていただいた。
仲居さんのお話でもなかなか、この部屋は取れないとのこと。
と、いまさら、たじろぐ。





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寺の娘の名前

話は西の果ての長崎より 突然移るが
こちら
ブリックスクエア3
丸の内ブリックスクエア。

ここで、今年の5月。
やはり望郷の景色の一部である親友 なんぶうと会った。
なんぶうの紹介は こちら(←クリック
というか、某ホテルラウンジで アフタヌーンティーを楽しんだあと、
丸の内界隈を歩いて 私の一押しスポットということで
ここに立ち寄った。

ここで 父の話や家族のはなしをひとしきり聞いてもらったあと、
また 少し歩いた。

ブリックスクエア2

いくつかの交差点を過ぎ
横断歩道を早足でわたりながら
彼女の娘の 名前の話になった。

そこにいたる会話はまったく覚えてないのだけど、
彼女の娘の名前をつけたのは
ご主人 良明和尚であること。
その名前の 由来がとても チャーミングだったことだけが
ずっと 頭に残っている。
けれど チャーミングだったことだけが
残っているので あって それ自体が
なんだったかは うろ覚えだ。
それでも、丸の内を 旧友と闊歩し
日本の真ん中で 娘の誕生の由来を語った エピソードは
きっと その娘が 大成した後には
わたしの 自慢話になるだろうから
うそ八百でも並べて 書いてみる。

ブリックスクエア

その寺の娘の名前は「亜希」という。
亜は二番目という意味を持つ。希は希望。

どれほど慈愛の心が深くとも まずは一番は自分。
自分を愛し、自分を大切にするべく生きるのは自明の理。
「そこをあえて 自分以外のもの、
二番目の人のために 希望となりなさい。」

良明和尚が娘に託した思いである。
「まずは一番は自分で当たり前」
とうのが、潔くっていいじゃないか!
いきなり
「誰かのために 尽くせよ」
なーんて 言われたら かえって嘘っぽくなる。
むしろ、二番目のもののために というところに
「自分を大切に」という 本来の親の願いが
際立つところが 圧巻だと 私は思う。

そして、自分を満たしてなお あまりある エネルギーを
つぎは 惜しみなく あまねく ひとびとのために つくせよ

実に壮大な力を感じたのだった。

そして その 娘というのが
それを 期待させるような 娘なのだ。

まあ、そのようなことを 感動しながら
次のレストランにそなえて
お腹一杯になった 腹をすかせるために 
わたしたち ふたりは足早に歩いた。


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東京でも いま とっても熱い丸の内界隈で
その 話題が出たことの 因果はきっともっと先にわかる。




父の十三回忌(3)

御斎も全員で壮大に盛り上がった。
和気藹々、あんなに人の笑顔のこぼれてとまらない集まりを
これまでみたことがない。
子どもも大人も大きな声で歓声をあげて笑ってたが
夫のはからいで ひとりひとり
子どもたちにおじいちゃんの思い出話をさせると
私たち娘は むせび泣くしかなかった。
子らが語る 思い出の父が あまりにも鮮明によみがえってきて
その 懐かしさに リアルな残像が
胸にせまった。

次は わたしたち姉妹に 「父の思い出を」とふられたとき
涙ではなせなくなった私をみて
たけおが すっくと立ち上がった。

母に代わってと話し始め、最後は
「私たちみんなを愛してくれたおじいちゃんなので
これからも いとこ同士仲良くしていきます」
と まとめたときには 父がすぐそばで
満面の笑顔で 微笑んだような気がした。

父は・・娘がいうのもなんだが、
どこにでもいる 小物だった。
小物というと失礼千万 親不孝な娘であるが
やはり そのへんのどこにでもいる 小物だった。

けれど その小物だったと思っていた父が
これだけの 身内をひきつけるほどに愛されていたことを
亡くなったいま しかも 12年たったいま 思い知らされた。

そして、そのことが何より 嬉しくて、
ボランティアをしたり 誰かのために祈ってたりしていた自分が
よほど小さく感じ、
もうここに集まる家族の笑顔だけで すべて満たされたような気さえして
あとは 残りの人生 もう何もなさずして 終わったとしても
本懐を遂げたような 心持ちにすらなった。

子どもたちだけで (8歳から25歳の幅はあるが) カラオケにいった。
つぎおより 年長組がちょうど半分6人いるのだが
その6人で 幼い頃流行ったアニソンでめちゃめちゃ盛り上がり
年少組みは あっけにとられるほどだったらしい。

帰ってきたふうこが 何度も何度も
「楽しかった!子どものころを思い出した!無心に遊んだ子どもの頃を思い出した」
と興奮していた。
私たち親子は たけおが小学校高学年になるまで毎年、
欠かすことなく 夏休みはびっしり数週間 里帰りしていた。
毎日毎日 いとこと遊び、父は山や川やプールへと連れていってくれた。
横浜で生まれ、育ったけれども
父のいるこの場所が わたしの子らにとっても ふるさとなのだと思った。
kounoura.jpg


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父の十三回忌(2)

この父の法要はひと様にはともかく
私たち身内にとっては どんな文豪、映画監督がなす
ドラマよりも ドラマチックだった。
それくらい繊細な 心持ちに もどってしまっただけかもしれないけれど。

tera.jpg


二十一人がお寺の本堂にならぶ。
前列、母を中心に私たち姉妹が二人ずつに別れ、母を囲む。
あとは思い思いに。
子どもたちは一番上が25歳のたけおで 年少が小学3年生の愛ちゃん。
読経が始まり、住職の合図で焼香が始まる。
母から4人姉妹の流れのあとは その場の流れに任せたつもりが
夫群たちも それぞれ 長幼の流れにのる。
その後が圧巻だった。
誰の指図もなく 12人の子どもがその流れをくんで 次々に前に出る。
よどみなく。背後に何が起きているのだろうと思わせるほどに、
申し合わせもせず。月齢までも読み。
そして 最後から2番目になったとき 中学1年の若葉が愛ちゃんの手を引いて
並んだときには 思わず クールなお釈迦様も 思わず微笑むほどの温かさが 本堂に流れた。
二人並んで お行儀よく 手を合わせる。

あとで聞けば、本当は最後から2番目は 若葉と同い年の理子ちゃんだったそう。
それを 一瞬のアイコンタクトで、「愛ちゃんを連れていくから お先にどうぞ」と 
かわしたというから、なんとも出来すぎ。

法要と言うのは一族あげてのイベントだ。
とはいえ、リハーサルもなく ゆえに 成功も失敗もない。
けれど、期せずして、一族の調和をみたときに
なんとも言えぬその 達成感。
しかも その 本堂の空気と 読経と 鐘の音。
供養というのは、生きているものが 生きていることの喜びを ともに分かち合い、
先に死したものへ 感謝をささげるものかもしれない。
悼むものではなく。

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父の十三回忌

先週末、三連休を利用して長崎に帰省してました。
父の十三回忌の法要で 四人姉妹にそれぞれの子どもがあわせて十二人。
母と夫で総勢二十一人の大家族が誰一人と欠けることなく、
ひしめき合って 父のお墓に手を合わせました。
kounoura.jpg
海を見下ろすこの墓地は
私たち姉妹にとっては 強烈な思い出の場所でもあります。


父はこのお墓を守るために 生きていたとも 思えるほどに一家の長であったし、
わたしたちは そんな父の 生業の中で
いま想えば 実に ぬくぬくと 少女時代を過ごさせてもらった。
久しぶりに姉妹で集まれば もうただそれだけで 嬉しくて
心が躍り、ああそういえば、昔はこんな風に 家族で暮らしていたんだったと 思い出した。
大人になるにつれ いろんな悩みを抱え込むことがふえ、
そんな悩みを 親のせいにして 言い訳して生きていた時期もあったけど
いやいやいや こんな風に家族で 顔を見合わせて 笑い合って
「あぁ、幸せ」って 確かに 思えた瞬間があった。
不思議なほど 鮮明に そのとき そう感じたことを 思い出すと同時に
一瞬で 心が そのときに もどった。

四坪はある墓地は都会では珍しいと思うけれど
この田舎ですら この集落では一番 広い墓地だった。
季節柄 舞い落ちた落ち葉は膝丈にも 積もり
それを 子どもたちは 服の汚れるのもいとわず
素手で抱えては 路地の向こうに捨てにいく。
お寺の小坊主のように無言で行をつむようでもあり
それでも ひとり またひとり と従兄弟の顔が増えれば
そこに 歓声がわき 手がとまる。
お寺さんに参る時間が近づき、
総勢21名がひしめき合って 流れ作業で線香をあげ 手を合わせた。

手を合わせても 南無阿弥陀仏 以外に 言葉が思いつかない。
嬉しくて嬉しくて。
父もきっと喜んでいる。
何より 家族を愛してくれた 父だったから。


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写真に取れない風景が心にやきつく日

たんぽぽポスター

ひさしぶりの投稿です。
書くことがないからというより
書くことより考えることのほうが多かったから。

で、今日はたんぽぽどこか 空間(そら) のおはなし会でした。
写真ありません。
撮るべきものがなかったのではなく
あまりの楽しさに写真撮るのを忘れてました。

ようやく、おはなし会が終わってから
思い出して親子ツーショットの写真を撮らせていただいたんだけど、
絞りの調節がおかしかったようで、
それらもすべて、色調が乱れてます。

あーあ、たくさんのひとが来てくれた
あの 熱気を 写真に納めたかったなあ。
あの 笑顔 画像で残したかったなあ。
あーあ 本当に残念。

誰か、写真好きなひと さぼメンバーになってくれないかな。
あと、会計できるひと
あと ウェブデザイン 得意な人
あと、 いま 特に欲しい人材は
木工ガール → えほんの森ことばの泉Cafe

今日、ママたちと少し話す時間があったんだ。
すごく 楽しかった!っ言ってくれて、
来月も楽しみ!って言ってくれて
さぼカフェも行きたい!っ言ってくれて

なんか 勇気をいただいたよ。

写真にはとれなかったけど
大切な時間は心に焼きつくんだと思うよ

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