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さぼの楽しさ

こんな風に書くと 自慢になりますが、
でも ブログなので 書かないと
伝わらないので 書きますが

さぼ は 楽しい!

それがなんでだかは わからないのだけど
たぶん あべちゃんや もりちゃんの
絵本 大好き エネルギーの おかげだと
思うのだけど

それに関しては
前にも書いたのだけど

スキノエネルギー(←クリック)

もう これに つきると思うんですね。

好きという パワー!

これには 掛け値がない。

掛け値がない

英語で 言えば

 priceless (値段が付けられないほど価値がある)

楽しくないはずがない。


正直、私には とても 不思議なんです。

私には そこまで 絵本が楽しいとは 思えない。

でも 彼女らをみていると

わたしは 自分に欠落しているものを感じる。

そして 彼女らは その欠落したものまで

愛するエネルギーに 満ち満ちている


真っ赤なお鼻のトナカイは

鼻が真っ赤だったから

愛されたように


絵本の世界では

不完全なものが

不完全ゆえに愛される


絵本が素晴らしいというところまで
実感できないけれど

おそらく 素晴らしいんだろう

とは 想像できる


なぜなら、絵本は

少なくとも あべちゃんや もりちゃんを

この上なく 幸せにしてくれて、

しかも その読み語りを 聞いてくれる

奇特な 人々が おいでになる。


そう この私も その 奇特な人の 一人なのであります。


ここで 宣伝。


来年より さぼ の新企画。


さぼの 「ことりのお話し会」

毎月 伽屋茶房 本店 にて

定期的な お話し会 を 企画中。

よろしければ ぜひ おこしくださいませ。


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あべちゃんのねっこ2

で、あべちゃんの 話にもどりますが

あべちゃんは メッセージとしての「愛のことば」を 幼少に育てているんですね。

親が 繰り返す ことば。

親が良いとか悪いとか
子どもの感性とかの 問題ではなく、
彼女はそうだったというお話です。

で、たまたま 私はそうではなかった。

だから 彼女は絵本を読むし
わたしは 彼女が絵本を読むのを聞く。
あるいは 応援する。

できれば 多くのこどもの愛のねっこが育てばいいな とも
思わなくもないんですが

はらは それよりは

誰かのために それを するというよりは
そうしたいから そうしているだけで

同じく あべちゃんも
誰かのためではなく
そうしたいから そうしてると
思うんですよね。

愛がほとばしるから
ほとばしらせておくか。

くらいのこと。

絵本を読むことは
強制でもなく 義務でもない。

そこに 気楽さが生まれると
思うんですよね。

ただ あべちゃんの場合は
かなりの人生を
保育士という 職業にかけてきた人だから

その仕事に対する
謙虚さとか 真面目さとか
それは また 別のお話しですが。

あべちゃんは 在職中から
定年退職したいまも
やはり 学び続けています。

まゆみさんの ブログも読ませていだだきました。
まゆみさんも 学び続ける人なんですね。

素晴らしい人生ですね。


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私の最近の夢は 子育て終えたら大学院


あべちゃんのねっこ

同じ読み聞かせ仲間の まゆみさん(←まゆみさんのブログ)から
コメントをいただいたので
嬉しくって 調子にのって
久しぶりに 記事を書きます。

で、コメ返しの つづきになるのですが、
あべちゃんの 気楽さの「ねっこ」の話。

これは 最近 あべちゃん本人と話していて感じたのですが
あべちゃんの 気楽さ 「生き易さ」とも
いえる 肩の力が抜けた感じは
おそらく 「愛された」人のもつ
それでは ないかと 思うのですね。

いや 「誰が愛されて 誰が愛されてなかった」
というよりは、

あべちゃんは 「愛されて」育ったことを
【実感しやすかった】

という話。

この実感というのは
実に曖昧で 抽象的で 数量で推し量れないものなのですが、
より 現実的に それを 可視化するとすれば
そういう メッセージが育った。ということ。

ははは・・ ことばもまた 見えませんね。


例えばね。
心に 「お前が生まれてきてくれて嬉しいよ」

ということばが 心に育っているか どうか。


というのも、たとえば
わたしの場合、親はとても愛情深い人で
現実に いまも とても 愛すべき人たちなのですが
どうしても その メッセージが弱い傾向にあるのです。

人からはこう見えるであろう客観的な自分と
自分自信の感じる 主観的な自分に
このところ 違和感が生じることが増えてきて・・

見た目の自分と
自分の感じる部分とに
違和感があるというのは
結構 生きるうえでは やっかいだったりして

それで ひとり
ことばを連ねたり
あるいは 黙秘したりして
そのへんを 探ったり
あるいは 無視して 寄付けなかったわけですが・・

いま この探求のプロローグが
終わったとしたら このテーマの行き先は。

まず そこに あったのは

言葉としての「愛」

現実に愛されたかどうかではなく

メッセージとしての「愛」が

そこに プリントされたか。

が とてつもなく 重要だというお話しなのです。


絵本に興味がない私が
それでも 彼女らとボランティアチームを組み
絵本に興味がないからこそ
私の足りなかったものを 見つめる作業をしている。

最近 私は
読み屋さんたちに敬意を表して
「愛の伝道師」と呼んでいるのですが、

絵本って 愛に 満たされているじゃないですか?

絵に ことばに。

 絵本があたえる愛は

 こどもにも そして つかれた おとなにも
 
 大切なんじゃないかと

 はらは 「頭で」 考えて、

 知らず 「心が」癒されてるんじゃないかと

 思う次第なのであります。


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