スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スキノエネルギー

私ね 絵本講座に参加して
つくづく感じたこと。

いや、私はあくまでも
絵本の知識も乏しく、
しかもそれほど絵本への造詣が深くない!!
(ここはきっぱり!)

でもね、絵本というのはあくまでも媒体なのですよ。
彼女らが 伝えたいのは きっと 「愛」。

おそらくね、読み屋さんたち本人すら
気づいていない。

だからこそ
私書き屋が おこがましくも しゃしゃり出て
きっぱりといいたい!

伝えたいのは「愛」

だから、知らず 人は癒され
しかも 読み手も慰められ
そして はらも はからずも ハッピーになる。

じゃあ、その愛はどこで生まれたか?

「好き」という気持ち。

絵本が「好き」というその気持ち。


最近ね、つくづく思うのですけど

「好き♪」という気持ちは
とてつもなく 偉大だな・・と。

掛け値がないじゃないですか。
比べようがない。

その人の 生き様そのもの。

人は 「好き」のために 生きていきたい。

はら はね そういう 読み手さんたちに
ほんとに たくさん 出会ってきたのですよ。

絵本が好きだから、
もう 読んだときに完結するわけです。
そこには評価も 見返りも
ましてや「無償の愛」なんて 高尚な概念もない。

好きというのは ほんと 偉大だなと つくづく思うわけです。

私は 松居直先生の講演に感動して 涙しましたが
ずうずうしくも、こんなことも感じていました。

松居先生のお話はこの二年の間に
私が出会った 読み手の皆さんから 学んだことばかり。


言い換えると 松居先生のお話は
きちんと 読み手の皆さんの中に 根付いて
『絵本道』ともいうべき 教えに 皆様 日々
忠実に励んでいらっしゃる。

道を お持ちの皆様で いらっしゃるから
そりゃあ、俗な私ですら
救済されるわけです。

柔道、空手道、茶道、華道・・多々
ありましょうが
絵本社中の皆様にありましては
『絵本道』なるものが
ここにあると 確信いたします

読み手の皆様へ 謹んで。

      かしこ



そして 慎みながら。

6月30日(日)
サンエール相模原 13時30分~14時30分
最寄 橋本駅(JR横浜線と相模線、京王電鉄の相模原線)

ここで もりちゃんとエルちゃん(←クリック)と
おまけで はらも 読みます。

どさくさにまぎれて
久々に 広報してみたりして。


人気ブログランキングへ(←応援ぽちよろしくお願いします)
実は本業の学習塾も正念場。
ただいま学区中学期末テスト。
めちゃめちゃ気合入ってます!!


スポンサーサイト

オノマトペと目玉

松居直先生が 幼少の頃
ピチピチ チャプチャプ ランランラン に
布団の上で 思わず 踊られた という
エピソードに 感動したわけですが

オノマトペ って 偉大だな
と やはり 思います。

あべちゃんが 乳幼児におすすめする本で
この絵本を 推奨するわけなんですが

はら も なっとく!


むにゃむにゃ きゃっきゃっむにゃむにゃ きゃっきゃっ
(2009/10)
柳原 良平

商品詳細を見る


おのまとぺに 加えて
この 目玉が いい!!

赤ちゃんって 目を見て
話すんですよね。
まっすぐに。
声なき声で。

赤ちゃんが 目をあわせない ようだったら 
それは もう拒絶。
って いう 言語。

まっすぐに 射抜くように
こちらを 見てくる 赤ちゃんだから
人は 愛くるしさを思い
保護を 思い
そういう めろめろにする能力をもって
無抵抗で 無力である 自分の生命を
守っている 本能的な 力が 目。

それにしても 考えたことがなかったけれど
白丸のなかに 黒丸で
もう 「目」を 連想するというのは
なんなんでしょうね。


medamasakana.jpg

medamamusi.jpg

ことバンク《目玉模様》チョウなどの昆虫やチョウチョウウオなどの魚に見られる同心円状の模もそれを眼として認識しているらしく、間違って攻撃したりする。したがって、目玉模様には、敵の注意をそらして大事な部分を守るという効果があると考えられる

目は口ほどにものを言う
というけれど、
この本も 語ってくれてます。

表現が説明でない分だけ
子どもの素の 感性の部分に
語りかけるものは多いはず




と、いろいろ 余計に語ってみる


人気ブログランキングへ(←応援ぽちよろしくお願いします)






ほめや

絵本を読んでくれる人を
読み屋さんというならば

じぶんにとって
気持ちよく誉めてくれるひとは
誉め屋さん。
みなさんにとっての
誉め屋さんって いませんか?

ひとって 「すごいね」とか「いいね」とか
何でもかんでも ほめてもらって
嬉しいわけじゃ  ないじゃないですか

フェイスブックのように
「いいね!」の
数では決められない

ここ というところを いい~感じで
きもちよ~く 誉めてくれるひと。


思い出してもね わたし そんな友人がいたんですよ!
いまでも ずっと つきあってきた 友人。

いえ、ほめてくれるから
つきあってこれた わけではなく、
自分自身が 尊敬できるから
付き合ってきたわけなんですけどね。

で、このおはなしは
おともだちではなく
誉め上手な 先生のお話。


てんてん
(2004/01)
ピーター レイノルズ

商品詳細を見る


すごく頑張ったことを誉められるのは
そりゃあ嬉しいけれど

自分が苦もなくやっていることを
畏敬を込めて 誉められたときが

実は一番嬉しいかもしれない


人気ブログランキングへ(←応援ぽちよろしくお願いします)



絵もことば

わたしは 絵本の読み聞かせを

聞いてるときも

実は字面(じづら)を 追う癖がある。

日頃から 「わたしは絵本に興味がない」というのは

そう意味でもある。

絵本なのに 字を読む。


わたしの 知覚の受容器官で画像というものを
取り込む力が 弱いんだなぁ

と 最近 つくづく感じることが増えてきた

方向音痴なのは その際たるもの。

わたしは 方向音痴なのである。

見知らぬ土地に行く必要がなかったこの数十年は

そのことにすら 気づかなかったのだけど

読み聞かせ行事その他で

うろうろ するようになってからは

自分がひどく 方向音痴で

しかも そこに 「不安」というものが

あることに 気づいた。

そして 同じように道に迷っても

それすら 楽しめる人がいることを知った。


で、話は戻るが

絵もことば。

これも 松居直先生がおっしゃったお話です。

「えほんの絵は みんな ことばなんです。

 絵を読むんです」

絵のすみずみにまで ことばがある

と、おっしゃいます。

わたしは 自分にたりないものを
気づかせていただいたような気がします。

文字へのこだわりが 強いばかりに
大切なものを見落としていた

たいせつなものは見えない

とはいうけれど

見ようともしない
感じようともしない

感じないから
そこに 不安があるのかもしれません

ひとは みななにかしら
欠落したものがある

その けつらくしたものが
何であるかを 気づくことが
自分を 愛するということ。


新装 ぼくを探しに新装 ぼくを探しに
(1979/04/12)
シェル・シルヴァスタイン

商品詳細を見る


この絵本を題材にこんなこと(こんなこと←クリック)を書きました。

もう 「絵本道」ですね。





へこんだ部分を 求める旅に出る

へこんだ部分に ぴったり の

かけらを 探す 旅に


雨に打たれて 

風に吹かれて


らったった らったったと

歌を 歌いながら



ところが なかなか

ぴったりの かけらなど見つからない


大きかったり 小さかったり


そうして ようやく

 みつけた!


ところが どうしたことか

思うように 歌えない

思うように 転がらない



かけらを おいて

もういちど

へこんだ 自分を 取り戻す

へこんだ 自分が 本来の自分

らったった らったった





人気ブログランキングへ(←応援ぽちよろしくお願いします)
絵本講座次回は7月

絵本講師養成講座レポート2

特筆すべきは 


ももたろう (日本傑作絵本シリーズ)ももたろう (日本傑作絵本シリーズ)
(1965/02/20)
まつい ただし

商品詳細を見る


この松居直先生のお話をお聞きすることができたこと。

この画像 もう このブログでは何度も登場いたしました。
何故ならば つんぷくかんぷく ももが 流れたからこそ
ももたろうが おじいちゃん、おばあちゃんと出会えたように

この つんぶくかんぶく のことばがあったからこそ
さぼが生まれ
こうして 活動できたわけです。

どんぶらこどんぶらこでは
きっと こうは ならなかった。

いや 多分。ほんとうに。

それくらいわたしには この つんぶくかんぶくくは衝撃的でした。

わたし、絵本への造詣はまったく深くないのですが
「ことば」へのこだわりは 強いほうだと思っています。
いや こだわりというより 「愛」



星の王子さまが

「大切なものは目に見えない」とつぶやきましたが

見えないけれども 確かにそこにある何かが

深く深く深く 心をゆさぶります。


松居直先生は公演のなかで 幼少の体験とともに

北原白秋先生の 「あめ」の一節

ぴちぴち ちゃぷちゃぷ らんらんらん

を口ずさまれました。

わたしは 震えて震えて止まりませんでした。

つんぶくかんぶく が、そうであったように。

理由のある感動、
説明のつく感動ってあると思うんです。

400字詰め原稿用紙3枚くらいでまとめられる感動。

でも、この震えのくる感動は
ことばにすればするほど

その 本意とずれてくる。

説明のできない そんな感動。

たぶんことばのもつ力。
今回 松居先生がお話されたエピソードとあいまって
ことばに 命を吹き込み

わたしの うすっぺらい表現を超える何かが
直接 心にせまったのだと思います。

これを さらにことばに変えることができたとき
その人は 詩人と呼ばれ

画にあらわしたとき
そのひとは 画家と呼ばれ

それらをあまねくつつむ絶対を
神と 呼ぶのかもしれません

だれの ことばにも
心をのせたとき
絶対がある。

そこに こころふるわせ
共感し 共鳴し 共振するものが
あると思いました。

ただ なかなか そんな人に そんなものに
出会えないから 人生という旅を
長い長い 旅路を さまようのかもしれません。

ことばは 希望です。


人気ブログランキングへ(←応援ぽちよろしくお願いします)






最新コメント
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/03 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カウンター
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。